違うハンコを持ってきたばかりに保証金の受け取りの手続きで追い返された人のことを書いた(「ハンコのある世界」)。私もかつて同じようなことをしでかして無駄足を踏んだことが何度もある。
どうしてこんなことが起きるのか、その事情を記す。
保証金の受け取りに必要な保証金受領証書は、被収容者の仮放免手続きの最後に入管でもらうものだ。そして、保証金の返還手続きはといえば、仮放免された者がビザをもらうか、再び収容されるかしてはじめて行われるものだから、ずいぶん長い間、この証書を保管していなくてはならない。
だから、どのハンコだか忘れてしまったり、ハンコそのものをなくしてしまったりすることもある。また、証書をなくしてしまうことだってある(こうした弊害があるので、入管の方でも証書の裏に印を押させたりしていた)。
さて、この出来事は2020年6月に起きたことであった。その後、2021年の4月、私は今度は保証金を納める手続きのため、ふたたび入管の会計課の受付の前にいた。職員が出てきて、所定の書類に住所と名前を記入する。そして、いつものように私はハンコを取り出した。
「それは、必要ありません」と職員。
たしかに用紙には「印」と記されていない。私は職員の人に尋ねた。
「では、もう必要ないのですね」
「そうです」
「噂には聞いていましたが、こんなことが起きるとは夢にも思っていませんでした……とすると、過去の保証金受領証書であっても、ハンコはいらないのでしょうか」
職員は重々しくうなずいた。
もはや、ハンコに翻弄された日々は終わったのだ。私は入管を出ると、東京湾にハンコを放り投げた。それは陽光を浴びながら煌めき、くるくると回転し、まるで私との別れを惜しむかのようにぴかりと光るや、波間に消えていった。