苦い文学

見えないメガネ

みなさんは2つのメガネがあるとしたら、どちらを選ぶでしょうか。ひとつは度は弱くて、もうひとつは度が強い。

度が強いほうだ、とおっしゃる声が聞こえます。確かに、遠くまでくっきりはっきり見えますね。

ですが、遠くまで見えるのは本当によいことでしょうか。たとえば、遠くに厄介な知人がいたとして、度が強いメガネで気がついてから無視するのと、度の弱いメガネでそもそも気がつきもしないのとどちらがよいでしょうか。

それはもちろん、度が弱いほうです。知らんぷりするという良心の痛みとも、みえみえのそぶりを知人に見破られるという危険からも免れているからです。見えないということは心を自由にするのです。

そもそも私たちに視力は必要でしょうか。

もちろん、視力があるに越したことはありませんが、よい必要はあるでしょうか。

大昔は必要だったでしょう。狩をする私たちにとって、遠くの獲物の動きが見えるか見えないかは、生死を左右しました。また、危険な獣の接近にできるだけ早く気がつくことも重要でした。ですが、現代社会では追うべき獲物もいないし、迫りくる野獣もいません。車や電車がぼんやり見分けられればそれでいいのではないでしょうか。

実際のところ、はっきり見えればいいのは、携帯だけです。それが見える程度の視力で十分なのです。それ以上の視力は不必要、いや、見えすぎることの危険と不快を考えれば、むしろ百害あって一利なしです。現代社会は狩猟社会から抜け出てそんなところにまできてしまったのです。

みなさんの中には、そもそもメガネなど必要のない方もいるかもしれません。失礼を承知であえて申し上げましょう。そうした方々は、いまだに狩猟社会を生きているのです。

現代人として生きたければ、ここにご用意した「あえて視力を落とすメガネ」をぜひお試しください。