言語学の本を読んでいて、私はその殺伐とした例文に憂鬱になったのであった(例文 (1) および (2) 参照)。
(1) 太郎が花子を殴った。
(2) 太郎が花子を殴っている。
この本は、私が参加している読書会の課題図書だったので、そのグループLINEで私の沈んだ気持ちを述べると、ある韓国人の先生から「ラブラブな例文」に変えたらどうか、との提案があった。
なるほど、(1) と (2) の例文は他動詞を用いた文の例であるが、他動詞であることを示すのに「殴る」など使う必要はないのだ。例文もまた、韓国のラブコメ・ドラマのようにキュンキュンしてたっていいのではないだろうか。
例えばこんな具合だ。新しい職場に向って花子が歩いていると、なぜか足が絡まる。あぶない、と思った瞬間、次の例文 (3) をごらんいただきたい。
(3) (不意に現れた)太郎が花子を抱いた。
出会いというものはたいていこのような偶然から始まる。さて、太郎は花子の同僚ということが明らかになる。職場での忙しい日々が続くが、いくつかの誤解があって二人の関係は険悪だ。ところが、ある手違いが起きるのだ。その結果生じる例文 (4) 〜 (6) を参照いただきたい。
(4) 花子と太郎は二人だけで遊園地に行く。
(5) 二人で遊園地のアトラクションを体験する。
(6) 花子は楽しそうな太郎に心奪われている自分を否定する。
そして、日が暮れて、寒くなってくる。そこに出現するのは次のような文 (7) である。
(7) 太郎が花子に自分の上着を着せかける。
これをきっかけに二人の関係は発展していくのであるが、本稿の目的には上記の例文で十分であろう。
暴力的な例文を無くしたからといって、暴力がなくなるものではない。しかし、少なくとも、暴力を繰り返し受けてきた人にとって、こうした例文がある種の暴力として機能することもあるだろう。それならば、むしろキュンキュンしていたほうがいいのではないだろうか。
すさんだ「言語学」よりも、むしろ「キュン語学」のほうがいいのではないか。