もしもこれが小説であったならば、翌日、友人がその古着屋を再訪してみると、ショーウィンドウがすっかり模様替えされていたとか、あの稀覯本は影も形もなく、その代わりに熊のぬいぐるみが置かれていたとか、これに慌てた友人が店内に駆け込むと、別の店員がいてまったく話が通じなかったとか、そんなありきたりの、書くのも恥ずかしい展開になったろう。だが、私はそうするのに躊躇しない。なぜなら、その通り実際に起きたのだから。
そして私は、友人の悲嘆と呪詛についてくだくだしく書くかわりに、彼がその後とった行動について書くことにしたい。友人はただちに、古着屋巡りに出発したのだった。その日以来、東京中の古着屋が彼の探索の対象となった。
渋谷、下北沢、高円寺、自由が丘、中野はもちろんのこと、ときには千葉の柏や大阪のアメリカ村にまで足を伸ばすこともあった。
これも幻の書の手がかりを求めてのことだったが、その過程で、思わぬ副産物が生まれた。古いものに対する明敏な感受性をもっていた彼は、次第に古着の魅力に取り憑かれ、おしゃれになってしまったのだった。もちろん、それで終わる彼ではなかった。
今、彼は下北沢で古着屋を開いている。その店は、古着屋ゾーンから少し外れたところにあって、本当に小さな店だ。彼が扱っているのは、70 年代から 90 年代にかけてヨーロッパで売られていたシャツで、彼に言わせればこの時代の生地はもう現代では失われてしまった遺物なのだという。彼の勧めるままに手に取ってみる。「この手触りはもう作れないんだよ」とうっとりと説明してくれる。
彼の店にも小さなショーウィンドウがある。時代の雰囲気漂うシャツに囲まれた空間で、何も置かれていない小さな台が、ずっと待ち続けている。