学生のころ私は、自分が賢いと思っていたので、思いついたことを平気でまくしたてたものだった。
ある年上の人と話していて、喪失感についての話題になった。私はちょうど大量虐殺を生き延びた人が書いたものを何冊か読んだところで、これらの生存者が、家族を失う苦しみのなか、どのように救いを求めたかについて、少なくとも5つのパターンがあると、得意げに分類してみせたのだった。
「まずは、失われた家族の面影を他者に求めるもの。その他者には、身近な死者の一部か、すべてが備わっているように見えるので、まるで、死者が生きているかのように感じられるのです。
「もうひとつは、心理的な強度。もしも、死んでしまった家族への心情の強さが、現実の人に対する心情の強さと同じ程度だったら、その家族はもはやいないとはいえない、そういう理屈です。まあ、強く思うことは、蘇らせるのと同じ、ということですかね。
「そして、3つ目のものは、侵入者。神秘は常に外部から客のようにやってくる。そして、失われた家族が神秘の世界にいるからには、外部からの侵入者は、家族の代理だということになります。
「4つ目は、3つ目までとはまったくちがって、失われたものは失われたままにするという態度。ただひたすら、その不在をただ耐えるというものです。
「そして、最後のものは、何も言わない、という態度です。つまり、前の4つは、生き残った人が何らかの形で言葉にしているからわかるのですが、なかには全然話さない人もいます。もしかしたら、前の4つのどれかかもしれないけど、そうじゃない可能性もある。その沈黙に意味があるのかもしれない」
初めは相槌を打っていた相手は途中からずっと黙ったままになった。私たちはそれからなにかつまらないことを話して別れた。そして、数十年後の今、私も、沈黙を知っている。