私の友人が監修を務めた『保留音楽全集』というコンピレーション・アルバムがある。「保留音楽」というのは、電話を保留中のときに流れる音楽のことだが、ご存知の通り、電話で聞かされるものだから、音質も最悪、まともな音楽好きならば、耳を塞ぎたくなるような代物だ。
だが、音楽に関して他人とは異なる感性を持っていた友人は、この「保留音楽」の虜となり、ありとあらゆる銀行、役所、カスタマーサービス、商店、0120 に電話して、その音源の収集に打ち込んだ。そして、膨大な「保留音楽」コレクションの中から、もっとも異常で、一聴するや精神を追い詰めずにはいない楽曲を集め、アルバムとして世に出したのだった。
「保留音楽」というと、まず思い浮かぶのは、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(モーツァルト)や「エリーゼのために」(ベートーヴェン)といったクラシックの定番曲だ。『保留音楽全集』にも当然収録されているが、普通のバージョンだと思ってはいけない。保留音楽として数限りなく再生された結果、音質が劣化し、もはや判別ができないくらいに分解された「雑音」なのだ。
例えば『全集』には「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が 4 バージョン収録されているが、ひとつは鋭い高音のみに純化されて、聴くや耳が切り裂かれそうになる。また別のものは音像が崩壊した結果、NASA が録音した土星の輪の音とそっくりだ。
「エリーゼのために」は 6 バージョン。そのうちのひとつは、音源が最大限に間延びした結果、「テトテトテトテトテン」という冒頭の有名なメロディが、第 1 音の「テ」が鳴ったっきり、いつまでたっても次の音が出てこない。かと思うと、別の「エリーゼのために」は異常な速度で再生され、さらに奇妙なエフェクトがかかるものだから、すべての音がまるで銃弾みたいに聞こえ、やがては脳を蜂の巣にするのだ。
『保留音楽全集』には、これ以外にも、ジャズやイージーリスニング、ポップスの名曲が勢揃いしているが、どれも聞けばわかるように、音は潰れ、ギザギザで、不快と苦痛を与えるノイズに仕上がっている。もしも通話相手が保留中にこれをあなたに流したら、即刻、切ること間違いなしだ。
この『保留音楽全集』、2006 年に発売され、今では幻の名盤としてプレミアがつくほど。そんなレアな音盤が、この度めでたくも再発されるという。
しかも、リマスター盤だということだ。