苦い文学

見えないカッコ

私はビルマ語は読めないが、一時期、ビルマの難民関係の必要で、ビルマ語で書かれた文書をたくさん見る機会があった。それらは、政治団体の声明や論説であったり、手書きの記録だったりした。そのとき気がついたのは、しばしば数字が( )に入れられていることだった。ちなみに、ビルマ文字には、アラビア数字とは違う数字があって、カッコに入っているのはそれだ。

日本語でも、(1)、(2)、と項目の番号をつけるときや、名前の後に年齢を入れるときなどにカッコが使われるが、ビルマ語ではそれだけではないようで、「(10)周年」などと書いてあることもある。

私はビルマ語の書記法はわからないが、こうしたカッコの使い方は義務というわけではなく、数字の視認性を高めるため、それほど公的ではない文書や手書きなどで使われているようだ。

さて、私の知り合いのビルマ人が、私に日本語で書いた文を見てほしいと言ってきた。見ると、数字がカッコで囲まれている。私は笑いながら「これはビルマ語のやり方では?」というと、相手はピンときていない様子だ。

そこで、私は紙に「(6)」と書き、「ビルマ人はよくこう書くけど、日本語ではこう」と「6」と書いた。相手はそれでもピンときていない。

「だから」と私は紙に書いた「(6)」の両脇の「( )」に線を引いて消してみせた。「こういうこと」

相手はようやく理解したようだった。そして、私と一緒に笑ったのだった。

つまり、このとき知人のビルマ人は、私がカッコをペンで消してみせるまで、「( )」の存在に気づかず、「(6)」も「6」も同じように見えていたのだ。だが、この見えないカッコは、私がその人の目の前で消してみせることで初めて姿を現したのだ。

これはビルマ人の習慣の話であるけれど、私にもきっとあるのに見えていないものがあるはずで、誰かがそれを消してくればいいと思う。