苦い文学

座る能力(後編)

たとえば、たまたま近くにあった社長の椅子に私が座ったとしよう。そのとき、なにが起こるだろうか。いや、なにも起きない。というのも、周りにいる人すべてが、私をまるで社長であるかのように扱いだすのだ。とうの社長ですら、私を社長と呼びはじめる始末だ。

また、うっかりして、女性の膝に座ってしまったこともある。通常ならば逮捕は免れないこの行為が、いかなる咎めも引き起こさなかったのは、おそらく周囲の目には私があどけない子どものように見えたからにちがいない。

こんな能力を持つ私だが、海外旅行、とくにアメリカに行くことだけは用心せざるをえない。一部の地域では、いまだに電気椅子による処刑が残っているからだ。

だが、私は諦めることができない。エルヴィス・プレスリーの生誕の地、テネシー州メンフィスを訪れたい。フロリダ州のディズニーランドにも家族で行きたい。だが、このどちらの州でも、たとえ歴史的な痕跡にすぎないとしても、電気椅子が法として残っている。私は恐ろしい。観光の途中で、私がふと座りたいと思った瞬間にあの能力が作動しはじめ、アメリカ合衆国の良識と法律とを総動員して、私を電気椅子に座らせてしまうのではないかと。

だからこそ、全世界から死刑が撤廃されなければならない、と私は思う。そんな理由から、今、死刑反対運動の団体で、チェアーを務めている。