今年のカレン・ニューイヤーは 12 時に始まって 17 時まで続く。前半は式典で、カレン人の歴史や文化に関するスピーチや、ダンス・歌などが行われていた。後半は私はいなかったのでわからないが、おそらく他のビルマ関係の団体のスピーチなどもあったに違いない。
ダンスはカレン人の伝統的な集団舞踊で、若い人たちが中心になって練習してきたものだ。大阪にもカレン人のコミュニティがあって、その若者たちが東京にやってきてダンスを披露していた。
私は若い人はほとんど知らないが、古い友人たちにはたくさん会えた。そのうちの何人かは壇上に上げられ、在日カレン人のための長年の活動に対する感謝として若いカレン人たちから記念品を贈呈されていた。これは、功労者の顕彰というよりも、若い人たちが増えたので、これまで日本で活動してきた年長の人々を知ってもらおうという意味で企画されたとのことだ。
私は式典のあいだ、舞台の前や、ときには舞台裏に入り込んで写真を撮ったりしていた。舞台裏の袖のミキサー台のところに友人がいた。横に座ってカレン・ニューイヤーにつきものの食事について尋ねた。
「食事は 4 階で食べる。このホールでは食べることができないから」と残念そうな様子だったので「でも、いいじゃないですか。これだけの人が集まったんだから」と私は言った。
彼が残念に思っていたのは、本当は、同じ場所で食べて、みんなで楽しむのがこのお祭りだったからだ。しかし、東京ではそんな会場は見つからない。20 年以上前、日本のカレン・ニューイヤーがまだ内輪の集まりだったとき、私たちはバンドで演奏して、歌ったり、食べてたり、飲んだりしたものだった。だが、もはやそんなときは来ないだろう。日本のカレン人コミュニティはそんな段階にまで成長したのだ。
そうだとしても、今、東京のどこかで、別の国の別のグループが、かつてのカレン人のように、小さなお祭りを楽しんでいる、それは間違いないように思われる。