どこかの街で大きめの事故が起き、犠牲者がでた。芸能人たちが哀悼のメッセージを SNS にあげるなか、一部の芸能人がインスタに、顔の膨れた自撮り写真や、輝く海鮮丼の写真をバカのようにあげているのに一般人たちは気がついた。
一般人たちは指摘に急行した。「不謹慎だ」「ファンやめた」「不買運動だ!」
火の回りの速さに、芸能人たちは、あるものは謝罪し、あるものは謹慎し、あるものは引退し、あるものはボランティアを始めた。
これ以降、一般人たちは、芸能人の哀悼に目を光らせるようになった。それで芸能人たちはどんな事故・事件・災害があってもすばやく哀悼の意を表明しなくてはならなくなった。だが、哀悼向けにできていないのが芸能人だ。哀悼案件が起こる前になされる「うっかり哀悼」事案が相次ぎ、さらなる炎上を招いた。
芸能人を複数抱える芸能事務所ももはや対応しきれなくなったとき、関係者たちは芸能人が効率よく哀悼を発信できるように、哀悼を取りまとめる機構を創設した。芸能人はついに絶え間ない哀悼表明から解放され、こころ安らかに眠ることができたし、一般人たちも、立てる目くじらもなく眠れるようになった。
哀悼の取りまとめは徹底していた。なぜならそうでなければ炎上は防げないから。そんなわけで、一般人たちは哀悼の流れを追うだけで、世の中の動きがわかるまでになった。もう新聞もニュースも要らなかった。タイムラインの哀悼にときおりブレイキング哀悼が流れた。
あるときひとりの芸能人が事故死し、その哀悼が発信されなくなった。たまさか生じたその哀悼の隙間も、機構が感知する間もなく、たちまち他の哀悼が押しつぶしてしまった。