苦い文学

孤独なダンサーたち(1)

言葉が人間の認識に強い影響を与えることがある。「心が潤う」「乾いた心」「あふれる愛」「元気が湧く」「ひからびた感情」などはただの言語表現に過ぎないが、私たちはこれらの表現を使ううちに、心には水分がなくてはならないような気がしてくる。それだけならまだいいが、喉が渇いたりして、水気が足りないと思うと、心まで荒んできて、思わぬ暴言を吐いてしまったりする。私たちはいくぶんかは言葉に支配されているのだ。

都内に住むある男性の話だ。彼は、あらゆることがうまくいかず、追い詰められていた。仕事ではいくつかの失敗によって非常に苦しくつらい立場に置かれていた。もし死を選ばないとしたら、解雇されるにせよ、自分から逃げ出すにせよ、失業するのは確実、そういう状況だった。

家庭もうまくいっていなかった。彼にとって帰宅するということは、深い沈黙か、果てることのない妻との口論かのどちらかを、選ぶことだった。しかし、だからと言って、家を飛び出しても向かうあてなどなかった。転がり込むべき友人は、すでに彼を見限って離れるか、この世を見限って離れるか、そのどちらかのせいで、見当たらなかった。

どこを向いても、どこにも道がないように思えた。それどころか、あらゆる方向から責め立てられているように感じた。職場も家庭も友人たちも、彼を憎み、罵り、あらゆる希望と夢を奪い取るのだった。