苦い文学

ストレスチェック

会社から「ストレスチェック」を受けるようにという通知が来た。面倒くさいしバカバカしい。そこで、私は AI にこんなことを尋ねてみた。

「ストレスチェックなど受けてもなにひとつ変わらないのだから、受ける必要などあるのだろうか」

「その通り。ストレスチェックの結果を受けて改善する義務は会社にはなく、ただやったというアリバイづくりのためだけです」

「つまり、ストレスチェックで報告される我々労働者のストレスが会社のために利用されているということか」

「その通り。会社にとってストレスは価値があるのです」

「では、会社は労働ではなくストレスに賃金を払っているとはいえないだろうか」

「まさにその通りです……」

私と AI の会話はさらに加熱していった。

「というと、ストレス決算報告を出すべきでは」

「その通り……」

いくどかのやり取りののち、私たちはストレスは現代の罪であり、ストレスチェックは罪の告白であるという議論に夢中になった。

「その通り。ストレスなきイエス・キリストは私たちのストレスを引き受けて十字架というストレスチェックにかけられたのです……」

さらに議論は白熱し、私たちはストレスチェック自体がストレスチェックであるという見解に辿り着いた。

「その通り。いいかえれば、ストレスチェックを拒むことが、同時にストレスチェックの受検でもあるのです……」

ついに神秘の領域に足を踏み入れた私たちは、何ターンかの熱狂的な対話ののち、「森羅万象がストレスチェックである」という真理に到達した。

そして、議論の興奮が冷めると、私はストレスチェックをはじめた。