苦い文学

本場の寿司

江戸前寿司というように、寿司の本場といえば江都東京だ。そんなふうに思っていた私だったが、今回、ドイツ、ベルリンに行ってみて、この考えを改めざるをえなくなった。

なにしろあらゆる街角に Sushi Bar という寿司屋があるのだ。私はドイツの民の寿司を愛する気持ちに打たれた。そして、異国のただなかで、Sushi Bar の経営に奮闘し、寿司の伝統とワザを受け継ぎ、ただ人々を喜ばせたいがために、素晴らしい寿司をフォーと一緒に提供しているベトナムの民にも敬意を表せずにはいられなかった。

ひるがえって東京の寿司を見れば、若者の米離れ、それに追い打ちをかける米の高騰、恒常的な不漁とワシントン条約、そしてなによりも我々の財布の中身の乏しさにより、江戸前は衰退の一途を辿るばかりだ。ドイツのほうがはるかに物価が高く豊かな国であることを考えると、寿司に消費する金額はドイツの方が上ではないだろうか。いや、たとえ今そうでなくても、そうなるのは時間の問題なのだ。

こうなると、もはや寿司の本場はベルリンとすべきではないか。私たち東京人はそう認めるのにいささかの躊躇も感じない。寿司を心から愛する私たちはむしろ寿司のためにこれを喜びたい。それに、寿司を失っても、東京はなお、とんこつラーメンとお好み焼きの本場であることは変わらないのだ。