苦い文学

歴史探訪「ポツダム宣言」

ある年齢以上の日本人はポツダムと聞くと、必ずポツダム宣言を思い出す。私もそのひとりで、子どもの頃は歴史の教科書には必ずポツダム宣言のことが書かれていたものだ。もっとも、今の学校の歴史の教科書にはもうポツダム宣言とか原爆とかについては書かれていないだろうから、若い人はポツダムなど知らないかもしれない。

私が使っていた歴史の教科書のポツダム宣言のページには偉い人の写った白黒の写真が必ず載せられていた。そこで、私たちの記憶の中ではポツダムと白黒写真が結びついてしまい、今もポツダムは白黒なのではないかと思っている人も多いことだろう。

私もやはりそうで、今回、ポツダムに来て、すべて色がついているのに驚いた。戦後 80 年というが、それだけの時が流れればカラーになるということかもしれない。

ポツダム宣言が産声を上げたのは、ポツダムにあるツェツィーリエンホーフ宮殿だ。私はポツダムに滞在しているあいだ、ぜひともこの「宣言の聖地」を訪れようと考えていた。宮殿に置いてある「宣言ノート」に訪問者たちが記した思い思いの宣言を見てほっこりしたいと思っていたし、またそれに触発されて自分の口からどんな宣言が飛び出てくるか、それも楽しみだった。

しかし、宮殿は現在閉館中ということだった。

残念ながら、私の宣言はおあずけをくらった形だが、いつか、必ず訪れたいと思う。なにしろ、この宣言をきっかけに日本に住む人々が、今にいたるまで戦争から解放されたのだから。