苦い文学

カップ麺の蓋

もう自分の人生は終わりだという思いに圧倒され、どこにも進む道を見出せないとき、私はいつもカップ麺を作る。

「作るだって? 蓋を開け、スープなどを入れて、お湯を注ぐだけじゃないか」 そう思う人もいるかもしれない。だが、カップ麺で本当に大事なことは、その後、つまり、紙の蓋を閉じた後に始まるのだ。

私はその閉じられた蓋を見ながら、カップ麺の歴史に思いを馳せる。それは常に失敗の歴史だった。

まず開発者たちが行ったのは紙の蓋に紙の爪をつけることだった。それをカップのフチで折り曲げておけば、蓋が閉じたままになると考えたのだ。だが、このいかにも成功しそうな目論見も、紙の蓋の反発力に打ち勝てないことがが明らかになった。そこで、カップ麺の開発者たちは紙の爪を大きくしたり、2つ、3つに増やしたりした。しかし、それでも蓋を抑えておくことはできなかった。

そこである開発者たちはシールならば紙の蓋を制することができるのではないかと考えた。これは確かによい案に思えたが、愚かにも開発者たちは蓋止めシールをカップ麺の包装フィルムに付属させてしまった。その結果、どんなことが起きただろうか? カップ麺を作ろうとする消費者たちが、この有用なシールに気づかずに、包装フィルムと一緒に捨ててしまう事故が続発したのだった。現在では、この蓋止めシールは一部のごく少ないカップ麺に残存するのみであり、絶滅するのも時間の問題となっている。

こうした事態を前にして、追い詰められた開発者たちが恐ろしい蛮行に走るのは避けられなかった。彼らはスープ後入れなどという奇怪な調理方法を編み出し、そのための「後入れスープ」などというものを開発して、蓋の上に置くように指示したのだ。しかも彼らは「後入れスープを蓋の上に置くと、スープが温まって美味しくなる」などという甘言でもって、消費者に蓋の抑圧に手を貸すよう促したのだ。なんと卑怯なことであろうか。

だが、それも失敗に終わる……。と、そんなことを考えているうちに、3 分がたってしまう。私は、カップ麺の蓋の上に乗せていた例の後入れスープ、そして後入れスパイス(そうなのだ、連中はこんなものまで案出したのだ)を取り除く。

その瞬間、ほら! 紙の蓋がいくつもの爪にも関わらず、そしてスープによる加重にも関わらず、自ら開いたではないか! まるで不死鳥のように! カップ麺の紙の蓋には、きっと不屈の魂が宿っているのだ。そうだ、私もだ。どんなに押さえつけられても立ち上がろう!

すっかり元気を取り戻した私は、カップ麺の蓋をゴミ箱に捨てて、麺をすすりだす。