日本に暮らすビルマのカレン人が、今日7月20日、葛西臨海公園でバーベキューの集いを開催した。私も誘われたので、行くことにした。100人ぐらい来るとのことだが、本当にそんなにくるのかわからない。チケットを見ると11時から開始というので、20分ぐらい前に行ってみたら、カレンの服を着た数名の人がたむろしているだけだった。これから準備を始めるらしい。
炎天下のなか、近くの木陰で待っているとだんだん人がやってきた。知り合いのカレン人も次々とやってきて、テーブルを広げたり、グリルに炭を投入して火をおこしたりしている。私はそのそばでぼんやりみていた。
するとカレンの若い人が私にウチワを渡してくれた。とても暑かったので私が思わず「ありがとう」というと、「なにを言ってるのかな」という顔つきで私をみて、それからグリルに目をやった。火をおこすためのウチワだったのだ。それから私はしばらくのあいだ、ウチワでグリルを扇ぎ続けた。ぼーっとつっ立っているよりはるかにマシだった。
そのうち、人々は肉やソーセージを焼き出した。この頃には私は自分のテーブルに移っていた。テーブルは15〜6ぐらい用意されていて、それぞれのテーブルに最低でも6人ぐらい座っていたから、100人というのは本当のようだ(子どももたくさんいた)。私はテーブルに座ると、あとはもうなにもせずひたすら肉やエビやソーセージを食べ続けた。ときどき、古い友人を見つけると会いに行って挨拶をした。
ある時から、私の席の向かいに、若いカレンの男が座っていた。背が高くていかにも健康そうだ。大きな声で話し、シャツのはだけた胸元からタトゥーが見えた(これはカレン人だけでなく、若いビルマ人がよくいれている)。
私は最初、彼のことを知らない人だと思っていたが、だんだん彼のことを思い出した。だが、確証がなかった。彼の手をこっそり見た。というのも、彼は手に特徴があるということを聞いていたから。だが、その手は焼かれたエビを掴んだり、お皿を他の人に渡したり、忙しく働いていて、よくわからなかった。
そこで思い切って私は名前を聞いてみた。彼は教えてくれたが、覚えのない名前だった。私はさらに尋ねた。
「前に会ったことありましたか?」
「私は会ったことがあると思います」 そこで私はもう間違いないと思って「M さんの息子さんでは?」と確認すると、若者はそうだと答えた。M さんはずいぶん前に亡くなったカレン人難民だ。入管に 3 年も収容されていて、私は何回か面会に行ったこともあった。
「そうですか!」と私はうれしくなった。M さんの葬儀のとき、当時未成年だった彼はビルマから日本にやってきて、そのまま難民として日本にいることになったのだった。思えばそのときから彼にほとんど会ったことがなかった。
「M さんとは友達でしたよ」と私がいうと彼は「お父さんに顔が似ているとみんなよく言います」と笑った。
この時になってはじめて、私が彼の手の特徴に気がついたのは、思えば不思議なことだ。彼は曲がった親指の持ち主だ。