牧師は説教台に立ち話はじめるや、手にしたコーヒーカップから、次々とカップを 3 つ取り出した。説教の小道具だったのだ。
そのそれぞれカップには、ビルマ語がマジックで書かれている。
「精神、心、体です」と通訳が教えてくれた。そして、さらに 3 つのカップが取り出された。もしキリスト教の知識があれば、もうこれらのカップになにが書いてあるか、おおかた予想がつくだろう。「父」「聖霊」「子」に決まっている。
話の内容はといえば、神がメッセージを伝えるのは「精神」に対してだが、人間はこのメッセージを聞かずに「心」と「体」のおもむくままに行動してしまう。なので、戦争をはじめとするさまざまな諍いが生ずる、というものだった。
牧師はタイのメーソートで、ビルマ内戦のため親を失ったり、逃げてきた子どものための施設を運営している。説教にはそこでのエピソードが交えられ、楽しいものであった。
キリスト教や教会については、私はほとんどわからないが、このカレン人の教会は、穏健にして明朗なものであったことを強調しておきたい。なにしろこういう世の中だから、外国人の宗教集団と聞くと、狂信者たちが、血の滴るイケニエに噛みつきながら、憎々しげに日本人を呪っているものと思い込む日本人がいるといけないから。
さて、礼拝が終わると、諸報告がある。これは日本の教会でも同じで、活動や会計の報告をするのだが、初めて教会に来た人の紹介をするのもこの時間だ。この日も、新しくやってきたカレン人たちや、タイの牧師に会うためにやって来たカチン人やチン人の若い人が立って、出身地や来た理由などを話した。
そして、私の番が来た(本当は初めてではないが)。まず司会がマイクでビルマ語で私について話す。それを通訳の人が教えてくれる。
「この人はカレン人と長いつきあいの人です。この人はクリスチャンではありません……」
いきなりのアウティングだ。隠しているわけではないが、マイクで大々的に言わなくてもいいのに、と思った。(おしまい)