苦い文学

カレン人の教会(3)

通訳の方のおかげで、礼拝の中身についても若干の記録ができるわけだが、集まった人は 40 人ぐらいだろうか。その中には、カレン人の牧師、副牧師、そして日本人の牧師もいた。詳しくは知らないが、カレン人の礼拝を支援している人だと思う。

そのほかは一般の信徒だ。ほとんどがカレン人だが、礼拝はビルマ語だ。なぜかというと、カレン語には大きく分けるとスゴー・カレン語とポー・カレン語の2種類あって、互いには通じないからだ(カレン語には他にもたくさんある)。

年齢層は、日本の教会とは違って、20 代 30 代の人も多い。こうした若い人々は礼拝や献金の間、前に出て何か歌を歌ったり、キーボードやギターを演奏したりする役目を担っている。

プロテスタント系の礼拝というと、お祈り、讃美歌、説教、献金、最後の祝祷、礼拝後の諸報告からなる。これは、カレン人の礼拝も同じだ。

ひとつ特別な企画としてあったのが、教会のリーダーが若者を何人か前に呼んで、問答をするというものだ。これは、若い人に聖書を読んでほしい、そして、これからの教会を引き継いでほしい、という思いから行われたとのこと。

それは「イエスを信頼すれば成功するという考えには賛成ですか、反対ですか」という質問をリーダーが若者に問いかけて、それぞれが思うところを述べる、というものだ。

これは信仰上の質問だが、他には「聖書には政府には逆らってはいけないと書いてあるという人がいるが、どう思いますか?」というビルマならではの政治的な質問もあったり、また「YouTube で『自分には神の力が宿っている』とか『神の言葉を語ることができる』と主張する人々の動画がありますが、どう思いますか」などという、メディアリテラシーに関する質問があったりして、興味深かった。

礼拝には説教がつきものだが、それについても簡単に記す。今回の説教はこの教会の牧師ではなく、タイからやってきたカレン人の牧師によるものであった。私の友人であり、それで私も礼拝に出席することとなったのであるが、その説教の時間が来て、彼が説教台に登った。

そのとき私は、彼がコーヒーカップを持っているのに気がついた。私は急いで教会にやってきたので飲み物を買う余裕がなく、喉が渇いていたのだが、礼拝が始まってしまったので、どうすることもできなかった。なので、彼がコーヒーを持って説教台に立ったとき、大いにうらやましく思った。

だが、これはコーヒーではなかった。欲が私の目を曇らせたのである。