苦い文学

七面倒くさい日本語

石破首相が「七面倒くさい日本語、習慣」などと言ったそうだ。なんという反日、なんという極左だろうか。

本当に日本語と日本の習慣は「七面倒くさい」のだろうか? いつもはしゃしゃり出てくるファクトチェックの連中も、こういうときにかぎってダンマリを決めこんでいる。

私たちは、日本を侮辱する極左政権を打ち倒すべく、敢然と反論に立ち上がった。論理的に考えれば反論などいたって簡単だ。

面倒くささが6以下であり、7でないときかつそのときにかぎり、「七面倒くさい」は偽である。これを論理式で表せば、6ノットイコール7。イコール石破は嘘つきだ!

そのためには、日本語および日本の習慣の面倒くささが実際にはいくつあるのかを数えねばならない。私たちがこの企てにまさに取りかかろうとしたとき、ある者がこう言い出すではないか!

「『しち面倒くさい』の『しち』は数字の『7』ではなく、形容詞などに付いて、わずらわしくていやだという気持ちを加える『しち』という接頭辞だそうです!」

私たちは驚いた。「せっ接頭辞? いったいだれがそんなことを言ったのだ!」

「いえ、辞書をひいたらそう書いてありました。『しち面倒くさい』のほかに『しち難しい』『しちくどい』がありました!」

「ええい、辞書なんて左翼の見るものだ!」

私たちはこう怒鳴りつけて片付けようとしたが、ことは容易におさまらない。「『色の白いは七難隠す』の『七難』と同じで数字だ!」「いや、『あた面倒』の『あた』と同じ接頭辞だ!」と揉めに揉めて、結局「こんなしち面倒くさいことやってられるか!」と私たちは解散した。