苦い文学

おしっこは地球を救う(前編)

年齢のせいなのか、おしっこが近くなった。というよりも、尿意が不意打ちを仕掛けてくるようになったのだ。漏らしてしまえばいいのだが、そうもいかないので、悶えることになる。

尿意の襲撃を幾度も耐え凌いでいるうちに、それが潜んでいる待ち伏せ場所がわかるようになった。卑劣にも、マンションの前やエレベーターの中という、攻撃とは無縁であってしかるべき平和な場所なのだ。

これはどうしてなのだろうか、と不思議に思っていたら、たまたまネットのある情報が目に入った。家に近くなると尿意が襲ってくるのは、外での張り詰めた精神が緩み、休息用の精神状態に変化するからだという。そこにつけこんでくるのだ

となると、と私は考えた。家に着く前に、あえて精神の手綱を締め、精神を緊張させればよいではないか。そこで私は、帰宅直前、鋭き尿意が萌してきた瞬間に、つらい仕事のことや、重き課題と責務、あるいは我が風前の灯の命など、自分の厳しい現実について考えるようにした。すると、驚くべきことに、これら容赦なき荒波に蹴散らされでもしたか、尿意はたちまち霧の如く消え去ったではないか。

私は、暗く悲しい気持ちと引き換えにではあるにしても、尿意に脅かされることなくエレベーターに乗り、悠々と帰宅できるようになった。ついに平和が訪れたのだ。

もっとも、残念なことに、この停戦は長くは続かなかった。