10代の人と話していて、ある約束について確認を求められた。私が「もちろん行く、きっとだよ」と答えると、その人は不審げな顔つきでこう返事をした。「え、絶対じゃないの?」
私は「絶対」のつもりで言ったのだが、ここで「きっと」の意味が違うのだということに気がついた。辞書で「きっと」を見るとこう書いてある。
・確実にそうなるだろうと予測しているさま。
・あることが確実に行われるさま。必ず。
漢字で書くと「屹度」「急度」だ。当て字ということだが、厳しそうな漢字からして「絶対だぞ」という感じがする。
だが、若い人はそうは受けとらなかったのだ。なぜなら、「きっと」はこんなふうに使われることも多いから。
「きっと彼は来るだろう」
「いつかきっと……」
「だろう」とか「いつか」と一緒に使われると、「絶対」よりも確実性が下がり「たぶん」に近くなる。この問題についてはネットでもいくつか意見があり、「たぶん」と感じる人のほうが多いようでもある。
もっとも、キットカットの「きっと勝つ」が「たぶん」では応援にならないから、「絶対」の感覚もまったくなくなってしまったわけではない。
それはさておき、私はこの「きっと」が、どちらともつかない場合があることにも気がついた。まずこれを見てほしい。
きっと君は来ない
ひときりのクリスマス・イブ
山下達郎はどちらの「きっと」で歌ったのだろうか。まず「来ない」と言い切っているからには「絶対」だろう。また山下達郎の世代からいっても「たぶん」ではなさそうだ。つまり、「絶対に来ない」と言っているのだ。
しかし、疑問がないわけではない。絶対に来ないとわかっている人がいったい、「ひとりきり」だの「まだ消え残る」だの未練がましく歌うものだろうか?