苦い文学

神のみぞ知る(2)

そのとき、ふとある記憶が蘇ってきた。違う、私は知っていた。「通せん坊」ポーズには意味があったのだ。

これはドイツに留学していた人から聞いた話だ。その人はあるドイツ人学生と、ベルリンの街を歩いていたのだ。二人が道を横断しようとしたとき、信号が赤に変わった。彼は立ち止まったが、ドイツ人学生のほうはそのまま彼を置いて渡ろうとした。車通りがなかったからだが、数歩で引き返してきて、謝った。

「これは申し訳ないことをした。赤信号なのに渡ってしまいました」

「いえ」と日本人。「日本でなら私も渡っていましたよ」

「しかし、日本人は誰でもルールを守るというではありませんか」

「そんなことはありませんよ。日本ではなにしろこう言うくらいですから。『赤信号、みんなで渡れば怖くない』って」

その言葉を聞くや、ドイツ人はひどく真面目な顔つきになった。「なるほど……面白い格言ですね。ですが、ドイツにはそれとまったく反対のスローガンがあるのです。だからなおさら私は自分のしたことを恥ずかしく思っているのです」

「というとどんな言葉ですか?」と興味をそそられた日本人は尋ねた。