飛行機に乗るたびに、私は暗い気分にならずにはいられない。機内の読書灯たちの悲しみを思うと、どうしてもそうなってしまうのだ。
昔は、人々は飛行機の中で本や雑誌を読んだものだった。そして、そのために設置された電灯、つまり読書灯を遠慮なく活用したものだった。
だが、時代は変わった。今や、人々は本など読みはしない。機内では映画を楽しむこともできるし、スマートフォンがあれば、動画や読み物にはこと欠かない。そして、これらのデバイスに読書灯は不要なのだ。読書灯たちは、携帯の動画や機内エンターテインメントに夢中になっている乗客たちを見て、どんな思いでいるだろうか。
「いや、私は読書家だ」という人もいるかもしれない。だが、はたしてこの読書家たちに、機内で読書灯をつける勇気がおありだろうか? それぞれの画面を見つめる人や、眠っている人、眠ろうとしている人のただなかで、自分だけ読書灯をつけ、無作法なまでに眩しい光で周囲の人々の安寧を妨げる胆力がおありだろうか? もちろんないに決まっている。悲しいことに、本の虫は弱虫でもあるのだ。
白状してしまえば、この私だって、そんな勇気はないのだ。ただ、暗闇の中ひとり座り、持ってきたが決して取り出すことのない本のことを思いながら、いつしか眠りが訪れるのを待つしかない。せめて、夢の中で本を開くことができると期待しながら……。
そして、今、酷寒の空で、悲しみを抱きながら沈黙している読書灯たちもまた、生まれたての太陽のように輝いてくれることだろう。