苦い文学

左右と上下

柳家吉緑という三月に真打ちに真打昇進したばかりの若い落語家の方がいて、たまたまその人の落語を聞く機会があった。聞き手には、私を含め落語に疎い人もいたので最初は丁寧に落語の聞き方を説明してくれた。

落語で二人の登場人物が会話をしている場合、ひとりが話すときは顔を右に向け、もうひとりが話すときには顔を左に向ける。そうすることで、二人の語り分けをする決まりだということだ。もちろんこれは基礎の基礎で、さらに声色や言葉遣いなども大事に違いない。

昨日、神田伯山の講談を聞きに行って、会話の切り替えには、この左右型だけでなく、上下型もあることを知った。それは次のようなものだ。

たとえば悪党が善良な男を脅していて、善人は怯えて「申し訳ありません」と謝って逃げようとする。だが、悪党はそれに対して「お前はそれで逃げられると思っているのか」と脅すのだ。

こういった場面で、語り手はまず善人のセリフ「申し訳ありません」を、怯えた様子で言いながら顔を伏せる。「申し訳ありません」は末尾の方では弱々しく(たとえば「ヒエエ……」というように)かすれて聞こえる。しかし、このかすれた声が一瞬の沈黙ののち、ドスのきいた「フフフ……」となる。するとそれに続いて、凄みを帯びた声で、セリフ「お前はそれで逃げられると思っているのか」が伏せた顔から出る。こう言いながら、語り手はゆっくり顔を上げる。その顔は先の善良な男ではなく、もはや悪党の太々しい顔だ。

つまり、顔を下に伏せることで、二人の人物の会話を切り替えたというわけだ。この上下型は、悪党が凄みのある言葉や悪い決心を告げるときに劇的な効果をもたらすようで、昨日の講談は悪党ばかり出てきたから、非常に印象に残った。もちろん神田伯山の芸が巧みであったためで、その悪い顔をたくさん拝見することができた。

左右型・上下型というのは私が勝手に呼んでいるだけで、専門的な用語があるはずだ。そういったことを含めて、私はなにも知らないが、それでも、講談なり落語なりを楽しむことができるというのは、ありがたいことといえるだろう。