説教節の「五説教」のひとつとされる「苅萱(かるかや)」はおおよそこんな筋だ。
昔、ある有力な武人が無常を感じ、仏門に入ることにした。高野山に行くと、偉い坊さんが「侍が遁世修行するなどムリムリ」という。だが、武人は「私は二度と家族に会いません。もし会ったら地獄に落ちてもいいです」と誓って、なんとか認めてもらう。
この武人には、妊娠中の妻がいた。やがて男の子が生まれて、少年になる。少年は、父親が生きていることを知ると、会いたくなり、母親と一緒に高野山に行く。
高野山は女人禁制なので、少年は一人で山に行き、苅萱道心に出会う。この苅萱道心は少年の父であるが、道心は家族と会ったら地獄に落ちると誓った手前、少年に「お前の父は死んだ」と嘘を言う。少年はこの悲報を母親に知らせるために高野山を降りるが、その時には母親は心痛のあまり死んでいた。
その後、少年は再び高野山に行き、苅萱道心と再会し、その弟子となり、道念坊と名づけられる。道心はいずれ自分が父であることが露見することを恐れて、ひとり旅に出て、亡くなる。道念坊も、道心が父であるとは知らずに、やがて亡くなる。これが善光寺の親子地蔵の由来である。
この悲しい物語には、どうも腑に落ちないことがある。
父親は少年が自分の息子であることは誰にも言わなかったし、息子は自分の父が死んだと信じ込んでいた。それならいったい、誰が二人が親子であることを知っていたというのだろうか?