現代の AI の進化のスピードからすると、そのうち、高度な自動翻訳機能を誰でも自由に活用できるようになるだろう。この機能を脳に組み込めば、私たちは相手が何語で話しかけてこようとも、即座に理解してしまうのだ。また、こちらから自分の言語で話したとしても、相手の脳に増設された自動翻訳機能が相手の言語に変換してしまう。
すると、互いに異なる言語を話しているのに、なぜかやり取りが成立しているという状況が生じるが、これはスターウォーズでお馴染みの光景だ。
問題は言語というものがそれほど明確に区別できないことだ。英語と日本語なら自動翻訳機能が必要だが、関東方言と関西方言ではどうだろうか。同じ言語ならば自動翻訳機能などいらない、と思うかもしれないが、いったんこの機能が脳に組み込まれてしまうと、「方言」程度の差でもこの機能は「やはりあったほうがいい」ということになるのではないかと思う。
そうなると、東京方言と茨城方言の話者同士のコミュニケーションでも、この機能を使わない理由はない、ということになる。そして、言語というものは、個人個人でも多少は違うものだから、家族と話すときでも、私たちはこの機能に依存するようになっていくだろう。
また、私たちは心の中で自分とやりとりすることもある。自問自答したりすることもあれば、良心の声が聞こえてくることもあろう。そのときにも、AI が自動的に働いて、翻訳しだす。自分との会話にも AI が介入しはじめるのだ。
そのとき、私たちが、胸に手を当てて考えるときの手も、たぶん AIの手だろう。