苦い文学

ポケットの中の紛争

嘘か本当かわからないが、都内に住む吉田さんのズボンの左ポケットを、某国が自国の領土だと主張しはじめた。

そればかりか、吉田さんのポケットの周囲で軍事演習を行って威嚇する始末だ。ついには、吉田さんがポケットに手を突っ込むと内政干渉だと警告を発するまでになった。

吉田さんは左ポケットを自分のものだと固く信じていたから、こうした脅しには屈しなかった。いつも通り、左ポケットに財布や飴玉などを入れていたのだった。

しかし、昨日、吉田さんが支払いをしようと左ポケットから財布を取り出そうとしたとき、予期せぬことが起きた。他人の手がポケットに侵入してきたのだ。その手は、吉田さんの財布を掴むと、奪い取った。某国がとうとう実力行使に出たのだ。

だが、吉田さんも負けてはいない。彼の手はただちに某国の手先につかみかかった。ポケットの中の小競り合いはエスカレートし、ついに激しい紛争が始まった。侵略者の手は強力だった。しかも手ぶらじゃない。いっぽう、吉田さんの手はというと、まさしく徒手空拳のありさまだ。お手上げとなるのも時間の問題かと思われたそのとき————

ポケットの近傍に配備されていたミサイルが、なぜかむくむくと起き上がり、発射。某国は撤退し、吉田さんはポケット防衛にみごと成功した。

吉田さんの周りいた人々は、その勝利に歓声をあげた。だが、誰一人として吉田さんに近寄って抱きしめたり、握手したりしたがらなかったのは不思議だ。