苦い文学

物乞いたちの貧困

チュニジアの首都、チュニスの街を歩いていると、物乞いの人をよく見かける。大きな通りがあるとすると、各ブロックにひとりいるぐらいの感じだ。なわばりでもあるのだろうか。

物乞いには若い人や女性もいるが、老婆も多い。ショールで頭を覆って、道端にべったりと座っている。片手の手のひらを上に向けているのは、道行く人々がお金をそこに置きたくなるようにだろう。そして、人々が小銭を施しているのもよく見かける。

チュニス滞在中は、雨で寒い日もあった。そんな日でも、老婆たちは道端に座って、「右や左の旦那様」にあたるような言葉を行き交う人々に投げかけていた。私は「物乞いとて楽な商売じゃないな」と思い、さらに「一日じっと座っているという労力を、他の仕事に費やせば、なにがしかの収入になるだろうに、どうして物乞いなどしてるんだろう」と考えた。

この疑問は誰でも思い浮かぶたぐいのもので、通常ここから物乞いに関する2つの「空想」が発生してくる。ひとつ目の空想は「これらの人々は罰当たりなほどに怠け者なのだ」というものだ。二つ目は「物乞いとはああ見えて実はとても儲かるのだ」という空想だ。どちらを選ぶかは、その人次第だが、どちらを選ぼうとも、結論は同じ、つまり「物乞いたちはけしからん」となる。

私も同じように考えていたが、しばらくして別の考えも浮かんできた。「いや、この人たちだって、自分がどうして物乞いなんかしているんだろうか、と思っているのかもしれない。だが、他にできないのだ。普通の仕事、いや、特別な仕事だってできる能力があるのに、それを活かせる世界から締め出されている、それが貧困なのだ」

そして、さらにしばらくして、自分も同じだということに気がついた。