苦い文学

盗難証明書

泥棒への感謝の気持ちの只中にあって、海外旅行保険のことを思い出しえたのは僥倖であった。

「いや、泥棒を崇拝している場合ではない。盗難の補償があるかどうか確かめねば」

海外に行くときは必ず一般的な保険に入るようにしているが、これまでスーツケース破損の補償を受けた以外、使ったことがなかったので、盗難が対象になるかもわからなかった。

調べてみると、24時間ネット通話対応のコールセンターがあった。電話してみると、次のようなことを言われた。

「通貨盗難の場合は3万円を上限に補償の対象だが、盗難証明書が必要である」

盗難証明書は警察でもらえるというが、私はそんな手続きをしたことがない。というか、どこに警察署があるのかもわからない。いずれにせよ、もう夜遅いので警察に行くのは明日の朝だ。

そして、次の朝、私はスーツケースを持ってホテルを出た。もとからこの日に別のホテルに移る予定だったからだが、たとえそうでなくても、私はもう滞在したくはなかった。

チェックアウトのさいに、ホテルの人がもう一度「誰も部屋に入れない」と繰り返した。私はもう盗難証明書のことで頭がいっぱいで、それはもうどうでもいいように思えた。