もう25年以上前のことになるが、私がはじめて北アフリカのチュニジアに行ったとき、街なかで「チョンチャン!」とか「シャキション!」とか、よく声をかけられたものだった。
これはジャッキー・チェンに由来する言葉のようで、中には、カンフーの真似をする人もいた。なんにせよ、一部の人々はアジア人と見るとこの言葉を発せずにはいられないのだった。
これが私には非常に不愉快だった。このような形で人間の尊厳を傷つけてはいけないと思った。そして、この振る舞いをやめさせることのできない自分の無力さに苦しんだ。
そして、今、私はチュニジアにいる。昔ほどではないが、今でも「チョンチャン!」とすれ違いぎわに言ってくる人がいる。となると、かつてはいらだたしかったこの奇習が、今や私にある種の感慨を抱かせるにいたった。
これら一部のチュニジア人たちは、少なくとも30年近くのあいだ、この「チョンチャン」をひっそりと守り続けているのだ。
この歳月のあいだ、世界ではさまざまな出来事が起きた。チュニジアもまた、2010年にジャスミン革命という大きな変革を経験している。「チョンチャン」は激動の現代史を生き延びてきたのだ。
それにしても「チョンチャン」はどのように伝承されてきたのだろうか。臨終の床で父親が「息子よ、アジア人を見たら、私がしたようにチョンチャンと必ずひとつやってくれよな……それが遺言じゃ……」 そんなふうに父から息子へ、そしてその息子が父となり、その息子へ、と綿々と伝えられてきた可能性も否定できない。
こうなると、もはやひとつの文化ではないだろうか。チョンチャン文化だ。
今後、ますます東西の交流が深まると、自ずとチュニジアの人々もアジア人に慣れ、街で見かけても珍しく思うこともなくなっていくことだろう。
そうなると心配なのが、チョンチャン文化の行末だ。いずれ消滅ということにもなりかねない。若い世代の中には、ジャッキー・チェンの映画すら知らずに「チョンチャン!」とやっている者もいると聞く。まさにチョンチャン文化のアイデンティティ・クライシスだ。
私はこのチョンチャン文化を守りたい。日本とチュニジアの友好のためにも保存会を立ち上げ、自らチュニジアの街頭に立ち、アジア人初のチョンチャン実践者として、アジア人にチョンチャンしたいと思っている。