苦い文学

カートの出会いと別れ

空港にはふたつのカートがある。ひとつは大きなスーツケースを載せるのに使う大型のカートだ。これは空港制限区域の中でも外でもどこにでもある。なんなら空港の建物を飛び出して、タクシー乗り場などに持って行ってもへいちゃらだ。

だが、もうひとつのカート、機内持ち込みの荷物を乗せる程度の大きさの小型カートは別だ。これは空港制限区域内、つまり出入国審査場を抜けて免税店などが並ぶ特殊空間にしか存在しえない希少なカートだ。もし、外国旅行に行ったことがない人がこれをみたら「いったいこれはなんですか?」と仰天すること疑いなしだ。「このオモチャはどこの免税店で買えますか?」とお土産にしたがる人もいるかもしれない。

また、この小型カートは別の意味でも希少だ。それに荷物を載せて歩いている人はいくらでも見かけるのに、空いているカートだけは決して見つからないのだ。

旅人たちが審査場を抜けるや否や、まっさきに探すのはこの小型カートだ。もう手荷物なんか持ってらんない。一刻も早くこのカートに荷物を載せたい。そして悠々と免税店めぐりをして、小さなカゴを素敵なお土産でいっぱいにしたいのだ。

だが、いくら探しても見つからない。小型カート専用置き場があるはずなのだが、それすら見つからない。いったい他の人々はどうやってあの素晴らしい乗り物を手に入れたのだろうか?

羨望に身を焦がす旅人はありとあらゆる場所を探し回って、ようやくひとつだけ、免税店の隅やトイレの脇に放置されているのを見つける。それはなんと美しく輝いていることだろうか。カゴにゴミが捨ててあったって、ハンドルが少々ベトベトしていてもお構いなしだ。旅人は引っ掴む。重たい荷物をようやく乗せることができる。もっとも、そのときには、搭乗時間が迫っていて、買い物などする余裕もないのだが。

そして、別れの時が来る。たいてい小型カートは搭乗ゲート内に持って行くことはできない。ゆえに、エスカレーターやエレベーター、階段の手前で、せっかく見つけた相棒を手放すことになる。

出国時のどんなつらい別れにも涙を流さなかった旅人も、この時だけは涙を流すといわれている。