苦い文学

アポストロフィなう

我が国はいま危機に直面している。絶えずミサイルは落下し、怪しい船が領海内を侵犯しまくっている。いまこそ、鉄壁の防衛を実現しなくてはならない。

では、その鉄壁の防衛を実現するためにはどうしたらよいだろうか? 巨大な軍艦を何隻も建造することだろうか? 核爆弾を全都道府県に配備することだろうか? それとも、我が国の全領域を電磁バリアーで覆うことだろうか?

確かに重要なことだ。だが、それだけでは不十分なのだ。アポストロフィ防衛がなくてはならない。

アポストロフィ防衛とはなにか? 日本語がローマ字表記されるとき、アルファベットの他にアポストロフィと呼ばれる「’」が出現するのにお気づきであろうか? たとえば、以下のような場合だ。

恋愛(れんあい)ren’ai
全員(ぜんいん)zen’in
新横浜(しんよこはま)shin’yokohama

もしも無知な人が「なんだこのゴマつぶみたいなの」と、このアポストロフィを消してしまったらどうなるだろうか。恐ろしいことが起きるのだ。

れない renai
ぜにん zenin
しにょこはま shinyokohama

そう、すべての意味が消え失せてしまうのだ。つまり、このアポストロフィが n と母音が結びつくのを妨げ、身を挺して言葉を守っていたのだ。そして、この捨て身の防御のおかげで、新大久保が「篠窪」にも、新大阪が「篠坂」となる大混乱を未然に回避でき、日本文化、ひいては日本国が守られていたのだ。

強大な兵器や防御は確かに必要だ。だが、これらの装備も、アポストロフィ防衛がなければなんの役に立とうか。

国民たちよ、今こそこの小さなアポストロフィになろう。そして、全身を捧げて、日本を守ろう。