苦い文学

マスクの美人

コロナ禍という閉塞的な状況がそうさせたのかもしれない。私は妻子ある身でありながら、他の女性に恋をしてしまった。

その女性は、朝いつも同じ車両に乗る。いや、恥を忍んでいってしまおう。私はわざわざその人に合わせて、電車に乗っていたのだ。

その頃はといえば、私たちは不便なマスク暮らしだった。だが、その人のマスクに隠されない部分、つまり、美しい鼻筋や、感情を掻き立てる目、そして、知性的な額を見るだけで、私の心は躍った。

ときおり、駅ビルや駅前のショッピングセンターで、彼女の姿を見かけることもあった。私は思わず立ち止まり、その美しい姿を目で追わずにはいられなかった。

だが、思いもよらない事態が生じた。コロナが収束したのだ。人々はもはやマスクをつけて歩かなくなった。そして、その時以来、私は彼女を見失ってしまった。

私はいつもの電車に乗る。あの人がいつもいたあたりで、ひとりひとり女性の顔をこっそり覗き込む。だが、彼女はもういないのだ。

私は彼女のいた時間帯、いそうな時刻に駅や街をさまよい歩いた。人々の中に彼女の面影を追い求めた。思い詰めた私は、片目をつぶり、片手をかざして自分の視界を覆った。そうやって道ゆく女性の顔の下半分を隠してみたのだ……違う、違う、違う、これも違う……不審者あらわるとの通報に駆けつけた警察の顔も思わず半分隠して、これも違う……。

そんな苦難を経た私に、ついに朗報が飛び込んできた。最近、中国でまたおかしな病気が流行ってるという。おお、ニュー・パンデミックよ、来たれ! 私はきっと彼女と再会できるだろう。