飛行機に搭乗するとは、なんと素敵な体験だろうか。私たちは飛行機に乗り込むときは希望でいっぱいだ。この素晴らしい機内で何をしようか、何を楽しもうか、プランでいっぱいなのだ。
映画を見よう、本を読もう、寝溜めしよう、いや、ちょっとした仕事を片付けるか……飛行機に乗っている時間というのは、究極のスキマ時間のようなもので、私たちは機内に広がる広々とした時間に胸をときめかせるのだ。
そして、私たちは乗り込むやいなや、思い思いのプロジェクトに取りかかる。本を広げたり、パソコンを取り出したり、ヘッドホンを装着したり、じつに気持ちのいいブランケットにくるまったり……だが、私たちはやがて気がつく。シートの座り心地があまり良くないことに。前の人が座席を倒してくると、パソコンなど開けないことにも。本を読もうと思っても、すぐに機内は暗くなることにも……そして、実際に機内にいる私たちにできることといえば、寝て、飲み食いして、排泄することだけなのだ。
私たちが飛行機に乗り込んだとき、座席の前のポケットには美しいPR誌ときらびやかなカタログと、私たちの思い思いの本やら何かでパンパンだった。だが、今やそこに詰まっているのは、ゴミだけだ。
私たちはまた、機内がそれほどキレイでないことにも気がつく。自分の座席の前のポケットがゴミだらけで、足元が食いカスだらけだったとしたら、他の人の座席もそうでないという保証はどこにあろうか?
あれほどやさしく見えたブランケットも、もうくしゃくしゃで、はじの部分は通路にだらりと広がって、トイレに行き来する乗客たちの靴がいくども踏みつけていく。
それにしても、乗客たちはどれだけトイレに行けば気がすむのだろうか。機内に設置された使用中のランプはいつだって煌々と赤く灯り、いたずらに便意を刺激するばかりだ。飛行機とは燃料が減る分だけ、糞と尿でいっぱいになっていく乗り物なのだ。
私たちはここでようやく気がつく、飛行機は大きなゴミだったのだ。
そんなわけだからこそ、飛行機が着陸すると、私たちはまだ機内が暗いうちから席を立ち、荷物を引きずり下ろし、通路に押し合いへし合いして並ぶのだ。心の中に浮かぶこんな想念にせき立てられてもう我を忘れてしまうのだ。
《一刻も早くこの汚い乗り物から出なくては。もし、出遅れたら、ゴミと一緒に捨てられる!》