そのカレン人女性がビルマに帰国してからの状況は、彼女の友人からときおり聞くくらいで、詳しくはわからなかった。
ただ、それらの話から私は、彼女がまるで異世界にいて、出口のない迷宮をさまよっているかのような印象を受けたのだった。
それから1年して、私は彼女がカナダに出国した、という話を聞いた。
さて、彼女のボーイフレンドだが、私はタイで会ったことがあった。彼女がまだ日本にいるときで、私がチェンマイに行くと聞いた彼女が紹介してくれたのだった。
彼女がカナダに行ってからは、二人がどうしているかについて、私に教えてくれる人もなく、すっかり忘れてしまった。
それが、今年の春、二人から急にメッセージが来た。11月に日本に遊びに行くから、会おうというのだ。そして、11月25日、私たちは再会し、巣鴨で食事をした。
難民としてカナダにやってきた二人ではあったが、今ではしっかりとした生活を築きあげていた。彼女は現在、看護師として働いている。夫のほうは聞くのを忘れたが、彼の下で二人のカナダ人が働いているそうだ。
政治については、それほど積極的ではない。というのも、そのせいでいろいろと苦労してきたからだ。カナダにはカレン人を含めたくさんのビルマの難民が暮らしているが、彼がいうには、自分たちは距離を置き、カレン人としてよりも「カナダ市民」として、自分たちの生活を楽しむことを優先している、とのことだった。二人の間には子どもがいないので、ときおり、二人だけで海外旅行に出かけ、そのひとつが今回の日本訪問だった。
とはいえ、彼女にとっては、日本再訪だった。以前、東京で働いていたときは、他の場所に行ったことなどなかったので、今回は大阪と広島を回ってきたそうだ。日本語もほとんど忘れたと言っていたが、それでも多少の会話はできた。
思えば、彼女の難民すごろくは 20 年近くも昔にこの東京で始まり、カナダで立派に上がりに到達したのであった。すごろくでは、ふりだしに戻ることほど悔しいことはないが、いったん上がった後でふりだしに戻るのは、喜ばしいことにちがいない。