苦い文学

新しい痴漢

昼下がり、都会へと向かう電車のその車両には、私とスーツを着た男のほか誰もいなかった。私は座席の端に座り、その男は向かい側の座席の反対側の座席に座っていた。銀の手すりにもたれかかって、目を閉じていた。眠っているようだった。

電車が赤頭駅で停車すると、警官たちがどかどかと乗車してきた。驚いて見ていると、警官たちは向かいの乗客を取り囲んだ。

「痴漢の現行犯だ! 逮捕する!」

叩き起こされた男は警官たちを見上げた。警官が男の腕を掴んで立ち上がらせようとすると、男は身を固くして抵抗した。私は思わず声をかけた。

「ちょっと、待ってください! 事情は分かりませんが、その人はこの車両にずっといました。私が証人です」

すると警官のひとりが私に言った。「お騒がせして申し訳ありません。この男は普通と違うのです。痴漢とは触るだけではないのです。見たり、匂いを嗅いだりする間接的な行為も痴漢です」

「この車両には女性はいませんでした。これもまた証言できます」

「ええ、ですが、この男は触りも、見も、匂いを嗅ぎもせずに、ただ強力な想念のみで痴漢行為を行うことができるのです。しかも別の車両にいる女性に対してです。もっとも新しい痴漢として、この容疑者を私たちはずっとマークしていたのです」

そのとき、別の警官が叫んだ。

「やっ、逃げたぞ!」 警官たちはいっせいに車両からホームに飛び出した。「線路に降りた! 逃げた!」「追いかけろ!」

そのとき静かにドアが閉まった。私と、なにごともなかったかのように再び目を閉じた男を乗せた電車はゆっくりと動き出し、男の幻影を追いかける警官たちを置き去りにして、都会に向かっていった。