苦い文学

入ってもいいですかの撃退(前編)

とある学校で日本語を教えている平助は最近ある問題に悩んでいた。

彼が担当していたのは朝の日本語初級クラスで、学生は日本に来たばかりのネパール人だ。

平助が早めに教室に入って、教卓で授業の準備をしていると、ネパール人の学生がやってくる。

「おはようございます、先生」

「おはようございます」

これはまったく問題ない。だが、何人かのネパール人男子学生は教室の入り口に立ち決まってこう言うのだ。

「教室に入っていいですか、先生」

「どうぞ、入っていいですよ」と応じながらも、平助は釈然としない気持ちになる。そもそも教室とは学生の場所ではないか。教員室ならばいざ知らず、そこに入るのに教員の許可など必要あろうか。

しかし、ネパールの学生が悪いとはいえない。ネパールではそうした習慣があるのかもしれず、学生たちはただそれにしたがっているにすぎないのだ。

むしろ責任があるのは教員のほうだ。考えてみれば、ネパールと日本の習慣の違い、つまり日本では教室に入るのに教員の許しをえなくてもよい、ということを、きちんと説明したことなどなかったのだから。

事前に教えずして、できないと怒るのは、愚かな教師のすることだ。

そんなわけで平助は、あるとき授業中に「教室に入るときには、なにも言わず入っていいですよ」とていねいに説明したのだった。

そして、翌朝、いつものように平助が教室にいると、学生が姿を現して告げた。

「入っていいですか、先生」