館内に入場してそのまま歩いていくと、奥の突き当たりにベンチの並ぶ待合所がある。電光掲示板があり、ツアーのスケジュールが並んでいる。そこでツアーが始まるのを待つ。その間、団体は団体でどんどん中へと進んでいく。
待つ前にしなくてはならないことがある。言語別のシールをもらうのだ。これは待合所の向かいにある(つまり博物館の入り口に背を向けた)インフォメーション・カウンターで、パスを提示するともらえる。そのシールがツアーの目印になっている。ポーランド語は赤のシール、英語は白だった。それを胸などに貼っつける。
また、私は待っているあいだに、セキュリティゲートを通ったところにある書店に行き、公式の日本語ガイド(『追悼の場 AUSCHWITZ-BIRKENAU 案内書』)を買っておいた。ポーランド語の解説がわからないので、せめてガイドで情報を補おうというハラだ。
グループはポーランド人だけかというとそうでもなかった。若い日本人たちもいた。私と同じく前日に予約した愚か者たちのようだった。
時間が来ると、ツアーの解説者が、言語名の記されたボードを持ってやって来る。これがツアーの始まりだ。待合所にある入り口を通って、地下のホールに降りる。そこで、レシーバー付きのヘッドフォンが渡される。これを通じて解説者の話が耳に直に入ってくるのだ。
私たちは解説者を囲みながら、アウシュヴィッツへと入っていく。同行した日本人は、ポーランドの解説者が話しているあいだ、後のほうでぺちゃくちゃ喋っていた。まったく愚かな連中だ。だが、私はといえば、ポーランド語がわからないのがバレないように解説者の近くにいたりした。わかったという感じでしきりにうなずいたりして。
後をついていくにも、他のポーランド人をさしおいて、従順な弟子のようにその真後ろにピッタリくっついていった。解説者はポーランド語で話しながらどんどん進んでいく。後ろにいるのが一言もわからない愚か者だとは、夢にも思わなかったろう。
(画像は、インフォメーション・カウンター)