苦い文学

トイレの時間

時間とはなんだろうか。アウグスティヌス以来、哲学者と科学者を悩ませてきた問題だが、私には私なりの答えがある。

時間とは膀胱の柔軟さだ。これが時間の流れを決めるのだ。柔らかい膀胱の時の流れは、固い膀胱に比べてゆったりとしている。それゆえ、固い膀胱の持ち主は、柔らかい膀胱の持ち主に比べて、おしっこに行く回数が増えるのだ。

さて、ワルシャワに向かう私の席は、飛行機の中央の席だった。つまり、両側に人がいて、トイレに行こうと通路に出るときには、必ずどちらかを煩わさなくてはならない席なのだ。

その厄介が生じない場合がないわけではない。隣に座る人の膀胱と私の膀胱とがシンクロしているか、私の膀胱のほうがより柔軟な場合がそれだ。そのような場合にかぎり、私は隣の人がトイレに立つ瞬間を狙って、トイレに行くことができる。

だが、私の両隣に座ったのは、30代のポーランドの青年と(おそらくは)10代の女性なのだった。時の流れとはなんと無情なものであろうか。

そして、この二人の柔軟な膀胱の持ち主は、14時間の飛行のあいだ、一度たりともトイレに立たなかったのであった。

ただ、ポーランドの青年は、私が日本人だと知ると、日本語で話しかけてくれた。彼は北海道で4週間の旅を終え、帰国するところだったのだ。私よりも北海道に詳しかった。彼はまたポーランドについていろいろと私に教えてくれた。互いに連絡先を交換しさえした。ひとことで言えば、友人となったのだ。

そして私は、その友情を活用して、一回だけトイレに行くことができた。