苦い文学

横断歩道

ワルシャワの街を歩いていて感心させられたのは、信号機のない横断歩道で必ず車が止まってくれることだ。歩行者優先の意識は徹底していて、横断歩道に近付いただけで、横断する意思を示す前ででも、車は止まる。

ずいぶん昔のことだが、マルタ島でも同じような経験をしたことがある。だからといってヨーロッパ全部に当てはまるとはいえないが、そうではないと考える理由もない。

それにしても、と私は日本の道路事情を思わずにはいられない。日本では横断歩道で車が止まったのを見たことすらない。それどころか、渡ろうとするとかえってアクセルを踏んで威嚇してくる始末だ。もっともこれは日本だけではない。韓国、台湾、中国でも同じような状況だろう。

ただ、横断歩道で車が止まる社会のほうが止まらない社会よりいいかというと、必ずしもそうではない。横断歩道で車が止まるのは、それ以外のところでは歩行者は渡らないという、車と歩行者の契約があるからのようでもある。

しかし、日本では私たち歩行者は、車の危険がなければ、どこであろうと果敢に道を渡らずにはいられない。これはある意味では自由だが、車にしてみれば、車道という車の聖域に対する侵犯行為でもある。そんなわけで、車も横断歩道で「おい渡れるもんなら渡ってみろ」とやけに歩行者に挑発的になるのだ。

いずれにせよ、日本人からすれば、横断歩道で車がスッと止まるなど信じ難い光景だ。私がその光景をビデオに撮って SNS に流したら、「フェイク動画だ」と炎上まちがいなしだし、ファクトチェック機関が緊急声明を発する事態となることだろう。