この夏、私は異国のとある美術館を訪れた。もっとも、美術の知識のない私には、展示された数々の絵画や彫刻もあまり心に響かなかった。とはいえ、一枚だけ、私の興味を引いた作品があった。
それは壁一面に掲げられた巨大な絵画で、ある闘争の場面を描いているようだった。画面の右下にひとりの男がおり、左側の一群の男たちに脅かされているのだった。男たちはみな剣を持っていた。あたかもその剣で一人の男をなぶり殺しにかかろうとしているようだったが、よく見ると違った。男たちは振り上げた剣で仲間を切りつけたりして大混乱のようすなのだった。
この奇妙な絵の下にはタイトルと説明書きもあったが、残念なことに英訳はなかった。すると、たまたま紳士がやってきて、この悲惨な絵を見るやいかにも心地よさげに笑い出したのだった。なぜ笑っているのだろうか? 好奇心を刺激された私は、思い切って英語で話しかけた。
「失礼ですが、これは何の絵でしょうか。そしてどうしてそのように笑っておられるのでしょうか」
「ああ、ああ」と紳士は笑い疲れたというように息をつくと流暢な英語で答えた。「この絵は『パブの虐殺』という、百年前の事件を描いたものです。私たち国民はこの名画を見て大笑いするのが習慣なのです」
「いったいどういう事件で?」
「話すと長くなりますが、我が国では、百年ほど前、弱者男性と呼ばれる人々が勢力を保っていた時期があったのです。その弱者男性の団体のリーダーが、この人物です」と紳士は画面右下の男を指差した。
「すると、これらの敵対者たちが弱者男性を迫害しているのですね」
「いいえ、違うのです。これらも弱者男性です」
「では、内ゲバ風景と……」
「ええ、いわばそうです。このリーダーは弱者男性の地位向上のため尽力したのですが、それがかえって仇となって、他の弱者男性から迫害を受けることとなってしまいました」
「と、いいますと具体的には……」
「リーダーはこう提案したのです。『弱者男性だけでは社会は変えられない。いまこそ、弱者女性と共闘すべきだ』と。すると、他の弱者男性たちが猛反対をしたのです。『女どもと手を組めるか!』『女は敵だ!』『生理臭い!』と。リーダーはさらに弱者である外国人や貧困者とも力を合わすべきだと説いたのですが、これがさらに弱者男性たちを憤激させました。『俺たちは単なる弱者じゃない! 選ばれた弱者だ!』と。そして、ついにこう叫んだのです。『こいつを殺せ! 俺たちを分断させようとするスパイだ!』 そして、この夜、パブに集った弱者男性たちは剣を手にリーダーに襲いかかったというわけです」
「その光景がこの絵なのですね」
「ええ、ですが、ご覧ください。剣など持ったことがない弱者男性たちは、もう滑稽にも」と紳士は笑い出した。「ほら、互いに突き刺しあって! リーダーに一太刀も浴びせることなく、自滅してしまいました! 見てください! このバカは自分の剣で首を刎ねてます!」 紳士は笑いすぎて苦しそうだ。
「当時の人々はこの無様な事件を絵画にして、楽しみを後世に伝えてくれたのです」
私は紳士に感謝を告げ、美術館を後にした。帰国して、その国の歴史を調べたが、絵に描かれたような事件はどこを探しても出てこなかった。