苦い文学

陰謀論に守られて

クリスチャンだったとき、私はとても忙しかった。私は教会の役員だったから、礼拝の準備や教会員の対応、会議など1日たりとも休む間はなかった。さらに、私は聖書の神に心を捧げていたから、ことあるたびに私は聖書を開き、深く読み込んだものだった。そして、どうしても解決のつかないときは、ひたすら祈った。ときには夜通し祈ることもあった。寝る時間もなかったのだ。

しかし、いま私はそんな忙しい生活とは無縁となった。なぜなら陰謀論者となったからだ。私は神とそのひとり子を幕屋から追い出し、ディープ・ステート、世界緊急放送、レプティリアン、アセンション、反日勢力、反ワクチン、Qアノン、トランプなどを招き入れたのだ。

陰謀論者の信仰生活はストレスフリーだ。教会などないから、人のしがらみもない。何をするかというと、家で祈るだけなのだ。祈るといっても、ひざまづいて、とかいうのではない。SNS の情報を拡散するのが、陰謀論者流の祈り。しかも、最近では AI の発達のおかげで、放っておいても勝手に SNS をチェックして拡散してくれるようになった。ついに私は祈りからも解放され、完全に自由な時間を手に入れた。

昼寝をしたり、好きな漫画を読んだり、平和な社会について想いを巡らせたり……そんなふうに自由な時間を有意義に過ごすことができるのも、陰謀論に守られてこそだ。