苦い文学

人類への祈り

揖保乃糸は一把一把、束になっている、そしてこれが問題なのだ、と彼は思う。最近ではパスタだって束になっているけど、それでも揖保乃糸のほうがだんぜん問題だ、だって、茹で時間が1分半だから。

彼はそのパッケージから4つの束を取り出す。まとめて片手で持ちながら、鍋の湯が沸くのを待つ。そして、人類のことを考える。湯気といっしょに数々の失敗がよみがえってくる。

彼は、ひと束目を投入したのち、ふた束目の薄くてザラザラしたビニールの帯を解こうとしたのだ。だが、どこから剥がせば良いのかわからない。無理やり剥がそうしたため、跳ね上がった素麺は床中に散らばり、その間に1分半が無情にも過ぎ去った……。

それから、彼は揖保乃糸のホームページを見た。そこにはこう買いてあった。

「お湯を沸かしている間に、必要な束数の帯をほどき準備しておきます」

そこでこの教えどおりに彼は4束のテープを取り去り、調理台の上で積んだ。すると、それら2人前分の素麺は一瞬のうちに崩れて広がり、調理台から床にバラバラと落ちていった。

なぜ器が必要なことを言ってくれなかったのだろうか?

彼は食器棚を見たが、そこには素麺を受け入れる準備のととのった皿はなかった。みな、小さな丸い平皿で、素麺の両端が皿の縁からはみ出てしまう。試みに載せてみたら、そのまま崩れて落下してしまった……。

目の前で湯が沸き立った。彼は心を決めた。もうこれしかないんだ。彼は4束の素麺を左手に持ち、そのまま右手でひとつひとつ帯を剥がしていった。これができれば、4本同時投入が実現する。

ひと束目、成功。彼はふた束目に取り掛かる。思わず左手に力が入り、素麺が軋み出す。冷静に! そして無事に2束目、3束目の帯をはずす。最後のひと束! 慎重に! そのとき、思わぬ方向から現れたビニールの帯が指に絡みつく! なんだ? 3本目の切れ端だ! 彼は「あっ」と声をあげ、その瞬間、すべての素麺は彼の左手から床に滑り落ちた。

彼な絶対に諦めない。なんど失敗しても、挑戦し続けるだろう。遠い遠い未来、彼の試みのおかげで、人類の手がこんなことなど難なくできるように進化するかもしれない。いつかそうなりますように! 彼は人類への祈りを胸に、新たな揖保乃糸を買いに走った