苦い文学

成長のタクシー

荒井由美の「卒業写真」ではないが、誰かに叱ってほしいとき、私はよくタクシーに乗ったものだ。

運転手さんたちの受け答えはまるで鋭利なナイフのようで、傲慢な私の精神を削りとってくれた。絶え間ない舌打ちは弛み切った私の精神の姿勢を正した。

そして、近道を決して選ばぬ運転は、人生における遠回りの価値を教えてくれ、かならず水たまりの上で降車させることで、人生には不慮の事態がつきものだと教えてくれるのだった。

だが、最近のタクシーはどうだろうか。運転手たちはすっかりこぢんまりとしてしまい、もはや人生の厳しい教師という役割を忘れてしまったかのようなのだ。

ついこのあいだ乗ったタクシーの運転手もまことに丁寧で礼儀正しく、私は「これも時代か」とひとりさみしくほほえんだのだった。

「お客さん」と運転手が穏やかな口調で、後ろに座る私に声をかけた。「シートベルトお願いいたします」

私はシートベルトを探し、ひっぱり、腰に回して、バックルに入れた。だが、ハマらないのだ。面倒くさいので運転手に聞かずに、つけたふりをしていると、ピーピー鳴りだした。

「お客さん、すいません。ちゃんとしてないと鳴ってしまうんです」

つけたふりをした手前、いまさら聞くこともできず、私はそのまま着くまでずっとシートベルトの金具をバックルに手で押さえ続けた。少しでも気を抜くとすぐにピーピー始まるのだった。

目的地に到着した。私は久しぶりに成長させてもらったことへの感謝として料金の2倍を払いたい、と思いながら降車したのだった。