202X年、日本は地球温暖化による猛暑に直面していた。日々、最高気温が更新され、恐ろしい熱中症が次々と人の命を奪っていった。
政府は熱中症を防ぐため、緊急事態宣言を発令した。外出制限、イベントなどの開催禁止、飲食店の営業時間の短縮など、まるで新型コロナウィルスの日々が復活したかのようだった。
とはいえ、コロナのときと違って、人々は宣言などどこ吹く風だった。いつもの夏のように、街を出歩き、海辺に押し寄せ、プールに詰めかけた。そして、猛暑に血液を沸騰させてバタバタと死んでいくのだった。
事態を重く見た政府は、熱中症対策専門家会議を設置し、もっとも効果的な対策を模索させた。
専門家会議は、現在のこの猛暑はすでに夏と呼べるようなものではないが、これを夏とみなしてしまう先入観が熱中症を増加させている、と分析した。そこで、この先入観をなくすための、ある提案を行った。
「夏を讃美し、人々をウキウキさせて酷暑の海に連れ出すサマーソングを全面的に禁止すべきだ」
これが政策として実現したのが「サマーソング禁止令」であった。
この禁止令が出されて以降、日本中からあらゆるサマーソングが姿を消した。配信も停止され、有線からも消えた。
だが、それでも人々は「シーズン・イン・ザ・サン」や「真夏の果実」をこっそり聴き続けた。カセットテープが闇で流通し、夏歌に飢えた人々が奪い合った。
そのいっぽう、多くの人々が逮捕された。表向きは「粉雪」だが裏では「夏の思い出」を楽しんでいた過激派が摘発され、アパートの一室で違法にサマーソングをダビングして荒稼ぎしていた集団が一網打尽となった。
熱中症予防の名のもとに、政府は人々から音楽も、自由も、そして結果的には夏も奪った。密告者が跋扈し、サマーソングを口笛で吹いただけで、灼熱の強制収容所送りとなった。
いまやだれもが冬を待ち望んでいた。サマーソングが解禁される冬を。もっとも、すでに民主主義の冬がはじまっていたことに気がつく者はひとりもいなかった……。