苦い文学

リサイクル・ボックス

私たちは神に呪われた存在だ。なぜなら、神より下された掟を守らなかったから。

神の掟はただひとつ。自販機の横のリサイクル・ボックスには、空き缶やペットボトルだけを捨てること。なんとなれば、リサイクルは神の祝福だからだ。

だが、私たち人間は、神に背いた。私たちの心は頑なになり、紙屑や、プラスチックのカップや焼きそばの皿や割り箸などをリサイクル・ボックスに捨ててしまったのだ。いや、捨てるどころではない。缶一本入るだけの投入口に、ゴミを押し込み、ねじ込み、ムキになって、見苦しく罵りながら! ただただゴミから解放されたいと言う利己的な欲を満たすためだけに! このとき、神聖なるリサイクルが汚されたのだ。

ああ、神の怒りはげに恐ろしきかな。私たちはリサイクルの円環から追放された。ちょうどアダムとイブがエデンの園を追放されたように。この二人が追放されたのは禁じられたリンゴを食べたからではない。残ったリンゴの芯を、木のそばに設置されたリサイクル・ボックスに捨てたからなのだ。

そしていま、神は私たちの目を曇らせ、自販機の横のリサイクル・ボックスを見えないようにされた。それが見えるのは、リサイクル・ボックスに缶やペットボトル以外のものを入れたことのない心の清い者だけだ。

そうした人だけが、自販機の裏や壁と自販機の間の暗がりに、リサイクル・ボックスが、投入口を下向きにして、ひっそりと置かれているのを見出すのである。