苦い文学

サクラ

昔、日本人は死を知らなかった。人は何百年と生き、ゆっくりと年老い、別の世界に消えていくのだった。そんなだから、縄文時代は1万5千年以上も続いたのだ。今のように政府がコロコロ変わったりはしなかった。

さて、ある日のこと、縄文時代の日本人が山を歩いていると見知らぬ原っぱに出た。そこには見たこともない木が生えていて、枝という枝がピンク色の花でいっぱいなのだった。私たちの先祖はその美しさに息を呑み、見事に咲いていることから、その花を「サクラ」と名付けた。

ご先祖様たちは、その「サクラ」の前で何日も過ごした。あまりの美しさに立ち去りがたくなってしまったのだった。しかも、サクラは咲いたかと思うと、潔くパッと散って、花びらを周囲に振りまいた。これにすっかり夢中になった大昔の日本人は、サクラにこうお願いした。

「サクラよ、あなたが潔く散るのを真似して、私たちが潔く散るのをお許しください。そのかわり、私たちは、あなたを褒めたたえるために、あなたが咲くと、その下で酒や食べ物を捧げます」

こんなふうにして私たちはサクラと約束し、潔く死ぬことを覚え、花見の習慣も始まったのだ。

私たち日本人と桜の約束は、どちらかが一方的に勝手に解消することはできない。なので、私たちは桜というものがあるかぎり、潔く死ぬことだろうし、子どもだろうと誰だろうと、他人に潔い死を強制し続けることだろう。

じつのところ、早く温暖化が進んで、日本から桜が消えるように、と私たちは内心思ってる。