貧しい国があるのは、世界の富める国が不正な収奪を行っているからだ。私たちは、そう習ってきた。そして、そう習うとき、富める国のひとつである日本に暮らす者として、貧しい国に対する責任を感じたものだった。
貧しい国の人々と会うこともあった。それらの国の人々は節度があったから、収奪する側である私たちを責めはしなかった。ただこう言うだけだった。「貧しい国をなくすためには、富める国も変わらなければなりません。皆さんにはその責務があるのです」と。私たちは、身も引き締まる思いでこの言葉を聞いたのだった。
それから年月が過ぎ、もはや日本は富める国ではなくなった。私たちは猛スピードで転落し、貧乏老人ばかりの貧乏国になった。いや、それどころか、もう最貧国集団が私たちの背中を捉えているという。
貧困国の一員になってみると、「奪われる貧困国と奪う富裕国」という私たちが学んできた図式が、もう時代遅れだということに気づかされる。なぜなら、豊かな国などどこを探してもないから。どの国でも生活が苦しく、だれもがホームレス一歩手前だ。
勝ち組も負け組もなかった。全部の国が負け組なのだ。地球ごと地獄化が進んでいるのだ。
これはまったく不公平だ。私たちは、貧困問題を豊かな国の若者に切々と訴える重大な機会を奪われたのだ。
せっかく貧困国になったのに、これではなり損ではないか。