私の友人の長年の研究が実を結び、ついに異世界への扉が開いた。それは山手線だったのだ。
彼がいうには山手線は螺旋状になっていて、一周まわると違う次元へと少しずつ移行していくのだという。
その移行の程度はほんのわずかだ。上野駅の6両目の停車位置にある黄色い点字ブロックを例にとれば、その角っこのドットの上にひっついた塵が位置を少し変えるぐらいのものだ。だが、これを何周も繰り返すと、それこそ塵も積もれば山となるだ、もしかしたら、点字ブロックなどなくなっているかもしれない。つまり、視覚障害者がもっと自由に移動できるすばらしい手段の存在する次元に移行したのだ。
そして、先日、友人は私たちに別れを告げ、はるか高次の世界へと旅立つことにした。朝早く、山手線で出発するこの友人を、私は上野駅から東京駅まで見送ったのだった。
もう二度と会えないと思うと寂しくはあったが、晴れやかな彼の顔を見ていると、そんなことは言えなかった。もっとも、若干の名残惜しさは彼も感じていたようで「この吊り革とも会えなくなるなあ」とか「高次の世界では脱毛の宣伝などないだろうなあ」とかいって、しげしげと車内を見回していた。
私はふと気になって聞いた。「おい、内回りと外回りは大丈夫かい。うっかりして螺旋状に下位の次元に下っていったりしないでくれよ」
「もちろんさ。ちゃんと調べてあるよ」
私は安心して東京駅で降りた。大きなリュックを背負った彼に手を振っていると、銀と緑のドアが閉まり、電車が動き始めた。
「友よ、君は今、永遠の世界に旅立とうとしているのだ」と、私は電車を見つめながらつぶやいた。そして、次々と過ぎ去っていく山手線の車両に「大崎」と書かれているのを見たような気がした。