苦い文学

ベスト・フレンドからの手紙

(異国の友人から送られてきた手紙)
早いもので、日本を飛び出してこの地にやってきてもう4ヶ月が過ぎた。ここには日本人などいないし、日本のニュースなど見ないから、日本のことを思い出すのは、両替をするときだけだ。そして、そのたびに、僕は円の下落という日本衰退の知らせを受け取るわけだ。

日本を捨てて、こんなところにまでやってきた僕の事情については知っているだろうから、話さないよ。だけど、こんな境遇にあるのに、いや、むしろこんな境遇だからこそ、ときどき日本のことを考えずにはいられないのだ。笑ってくれてけっこうだ。

いろいろと思い出すよ。日本にいたときには気にもしなかったことまでね。そんなつまらないことがふと思い出されて、気になってしょうがなくなるんだ。

それにしても、日本の高齢男性は、どうしてみんな、ポケットがたくさんついたベストを着ているのだろうか? そう、これが気になってならないんだ。ある年齢を越すと、自然と着るようになるのだろうか? 老人の体に湧き起こる得体の知れない衝動が、あのベストを激しく求めさせるのだろうか? それにしても、いったいどこであれを見つけてくるのだろうか? 店で普通に売っているのを買ってくるのだろうか、それとも、老人にだけ、どこからともなくふんわりと降りてくるのだろうか?

それに、あの無数のポケット! いったいなにが入っているのだろうか? 小銭とかガムとかだろうか? 勲章入れかもしれない、老人はみな好きだから。それで、今はポケットが勲章の代わりみたいに了解されているのだ。だが、そもそもなんの勲章だろうか……

いや、ちがう、あれはポケットではなく、体温調節のための通気孔ではないか? 環境に合わせて体温を変える爬虫類のような……こんなふうに考えていたら、つい今朝のことだ、衝撃的なことがあったのだ。

この街は、日本人がすっかり姿を消した代わりに、いまや中国人がたくさんだ。みなツアー客で、ガイド付きのバスに乗っている。

その朝、僕は広場に面したカフェでぼんやりしていたのだ。そこに中国人観光客が団体でやってきた。老夫婦が何組もいて、老人たち全員、なんとあのポケットつきのベストを着ていたのだ!

これは、いったいどういうことだろうか? 日本だけではないのだ。東アジアの高齢男性だけがベストを欲しがる奇病があるのだろうか? それとも、何かのたくらみでも……? 頭がおかしくなったと思うかも知れないが、真剣に調べようと思っている。
(この手紙ののち、友人の消息は途絶えた……)